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 二章〈Bestia-ベスティア-〉

ラリカが町近くの森で竜(ドラコ)を連れ帰ってから二日後。

子供の竜(ドラコ)と出会ったことや、初めて魔法が使えたこと。

そして、見習い魔法士になるための試験が受けられるようになったことに、連れ帰った竜(ドラコ)の世話役を言いつけられたこと。

ラリカにはどれも突然の出来事だった。

現在、ラリカは二時限目に行われている防衛魔法の授業を受けている。

いつも通り窓側の席に座り、外で行われている浮遊術の授業を眺めながら、上の空のまま別のことに思考を巡らせていた。

「ベスティアかぁ…」

考えていることに対して溜め息を吐くかのように、ポツリと一人呟く。

 

ラリカに課せられたことの中での一番の不安は、竜(ドラコ)の世話役になることだ。

事実上、ベスティアと同じような関係性だが、今までラリカはベスティアとして他の種族と交流をしたことがない。

ましてや相手は、滅多に見られることのない子供の竜(ドラコ)であり、劣等生であるラリカが果たして世話役として務まるのか不安で仕方なかった。

 

世話役を言いつけられてから二日が経ったが、あれからあの子供の竜(ドラコ)には会っていない。

ベイリーから聞いた話によると、獣医室に預けた竜(ドラコ)は、余程重傷だったのか未だに目が覚めないままらしい。

それに加え、突然の出来事に対してラリカの頭の中でも整理が出来ずにいた。

けれど言いつけられた役目から目を背けるわけにも行かず、そろそろ竜(ドラコ)の様子も見に行かねばならない。

この授業が終わった後にでも、獣医室に様子を見に行ってみようか。

 

そんなことを考えながら、机に肘を突き、窓の外を眺めながらボーッとしていると、突如としてラリカの机に広がっていたノートや教科書が姿を消す。

ラリカがその事に気づかないまま外を眺めていると、ラリカの頭上に、机にあったはずの物が現れ、そのまま重力に任せて頭の上にバサバサと落ちて行った。

ラリカは突然の衝撃に驚き、頭を押さえながら何事かと辺りを見渡す。

すると、黒板の前に立っているオレンジ色の髪に魔法士特有のウィッチハットを被っているユライザ教授が、笑顔を引きつかせながらラリカのことを見ていた。

 

「ラリカさん。先生の話はちゃんと聞きましょうね~?」

「…すみません」

 

ユライザ教授の表情や声色から、少し怒り気味なのが伺えたため、ラリカは少し気まずそうに謝った。

 

それもそのはずで、防衛魔法の授業中、ラリカは先程と同じように話を聞かずに上の空だったため、既に二度は注意されていた。

今回を含め、三回も注意をしているユライザ教授が怒りを見せるのも当然だ。

 

ラリカが床に落ちた教科書を拾い始めたのを確認すると、ユライザ教授は少し不満げな様子を浮かべたまま、黒板に身体を向け授業を続ける。

ラリカは机の上に教科書やノートを再び広げると、今度は窓の外を見ずに授業に耳を傾ける。

しかし、これから起こりうるであろう出来事に対しての不安が、未だにラリカの脳内を支配していたため、授業の最中はずっと先生の声は頭に入ってこないままだった。

 

 

二時限目の終了を知らせる鐘の音が学園中に鳴り響くと同時に、ユライザ教授は授業を終わらせた。

それと同時に教室内はたちまち生徒達により騒がしくなり、教室を出ていく生徒や会話を始める生徒などで賑わっていく。

 

ラリカは教科書やノートを整え手に持つと、教室から出て、ほんの少しの不安を抱えながら、真っ先に竜(ドラコ)のいる獣医室へと向かう。

 

寄り道をすることなく真っ直ぐ獣医室へと辿り着くと、扉が見えてきた辺りのところで、獣医室の中からドタバタと騒がしく大きな物音が響いてくる。

普段の獣医室からは聞かないような音を聞き、中で何かあったのかと思い、急いで駆け寄ると、ノックもせずにガラガラと扉を引く。

 

獣医室の中は、悲惨な状態だった。

 

床にはベスティア用のクッションやベッドの枕などが転がっており、破かれたそれらから出たのであろう羽毛がそこら中に散らばっている。

天井付近を見れば、獣医室の中を飛び交う小さな身体が、次々と空間を区切っているカーテンを薙ぎ倒していき、好き勝手に暴れまわっていた。

ベイリーのベスティアも、いつものようにカーテンレールからぶら下がっている止まり木に止まったまま、羽をばたつかせ鳴き喚いている。

 

部屋の中心には定位置から外れたベッドが数台あり、その中の一つのベッドの下に、大きめの丸眼鏡を掛けた男の子、ナル・モーリンが身体を小さくして身を隠していた。

どうやら見渡す限りでは、今ここにベイリーはいないようだ。

ナルはベッドの下で蹲ったまま、扉の前にいるラリカに気付くと、半泣きの状態でラリカに叫びながら声を掛ける。

 

「あ!ラリカさん!!この竜(ドラコ)なんとかしてください!」

 

ナルはそう言い、獣医室内を飛び交う影に対して指を差す。

ナルが指を差した影は、よく見ると二日前にラリカが連れてきた子供の竜(ドラコ)だった。

竜(ドラコ)は、未だに身体のあちこちに包帯を巻いたまま暴れて飛び回っている。

 

「なんとかしてって言われても…」

「あなたが連れてきたんでしょー!」

 

それはそうなんだけど…。

 

ラリカは口には出さず、しどろもどろになりながら心の中で呟く。

確かに連れてきたのはラリカ本人なのだが、未だにまともに使える魔法を覚えていないラリカにはどうすることも出来なかった。

かといって、こうも激しく暴れ回っていては素手で捕まえることも難しい。

 

どうすることも出来ずに獣医室の扉の前にただ突っ立って眺めていると、ふと飛び回っている竜と目が合う。

竜(ドラコ)は突如として、ラリカの元へと向かって飛んで来た。

ラリカは何かされるのかと身構えたが、竜(ドラコ)はラリカに危害を加えることはなく、自分の身を隠すかのようにラリカの背後へと回りこんだ。

そしてラリカを盾にし、ベッドの下に蹲っているナルに対して唸り声をあげながら睨みつけるのだった。

 

ようやく竜(ドラコ)がラリカの後ろで大人しくなったため、獣医室内は荒れた姿を残し、静けさで包まれる。

ベイリーのベスティアも室内が大人しくなるとともに次第に落ち着いたようで、止まり木の上で、静かに荒れた室内を眺めていた。

 

ナルは竜(ドラコ)が落ち着いたことにほっと小さなため息を吐きながら安心感を抱くと、ゆっくりとベッドの下から身体を出す。

その様子に警戒心を抱いたのか、竜(ドラコ)はもう一度唸り声をあげた。

 

その時、ラリカの頭の中に先日と同じような声がもう一度響く。

 

『お前ら人間だな!僕に近寄るな!!』

 

ラリカは声に反応し、いつものように辺りを見渡す。一方、ナルにはラリカに聞こえた声は聞こえていないようで、平然と着ている白衣に付いた埃を掃っていた。

 

「声…」

「え?」

 

ラリカがボソッと呟いた声に、ナルが反応した。

 

「今…声が聞こえなかった?」

 

声の主を探すように、辺りをキョロキョロと見渡しながらラリカが聞いた。

そんなラリカをナルは訝しげに見つめながら、首を傾げる。

 

「声…?誰のですか?」

「それは、分かんないけど…」

「…僕には、声なんて聞こえませんでしたけど…?」

「でも」

「おい、お前ら何をしてる?」

 

ラリカとナルが話していると、ラリカの言葉を遮るように、ラリカの背後から声を掛けられた。

二人は声のした方向を見ると、そこにいたのはこの獣医室の主と言っても過言ではない人物のベイリーだった。

 

「ベイリー先生!」

「ベイリーベイリー」

 

ナルがベイリーに声を掛けると、それに反応するかのように止まり木にいる鳥(アウィス)が名前を繰り返す。

 

自分の部屋と同じくらい馴染みのある獣医室を見て、ベイリーが驚くのも無理はない。

直前まで竜(ドラコ)が暴れていたことで、カーテンは倒れ、物やベッドが散乱しており、壁にも小さな傷が出来ているという荒れた状態だ。

ベイリーは着ている白衣の左右のポケットに両手を入れながら、呆れたように二人に問いただす。

 

「何だ、この有様は。ラリカ、魔法でも失敗したか?」

「こんなところで魔法なんて使ってないですよ…」

「じゃあ突風でも吹いたか?」

「その竜(ドラコ)ですよ!その竜(ドラコ)がさっきまで暴れていたんです!!竜(ドラコ)を預かったとは聞きましたけど、気性が荒いなんて僕、聞いてませんよ!?」

 

ベイリーが冗談交じりに問いかけていると、ナルが声を張りながら文句を言った。

ラリカが来るまで、竜(ドラコ)が暴れていた空間と同じ場所にいたのだ。

余程怖かったのだろう。

 

ナルは、不機嫌そうな顔を浮かべながら、ラリカと色違いの制服とその上に着ている白衣に付いた埃や汚れをもう一度掃い落とす。

綺麗な白い白衣についた汚れは、なかなか簡単には落ちてくれないようだ。

 

ベイリーはそんなナルを横目に、ラリカの後ろに隠れてた竜(ドラコ)の様子を見ていた。

 

「おー、やっと起きたか」

 

そう言いながら竜(ドラコ)に触れようとすると、竜(ドラコ)は噛みつく勢いで唸り声をあげ、背中にある翼を再び広げ、もう一度室内を飛び回る。

しかし先程のように暴れるようなことはなく、まだ怪我が完治していないせいか、フラフラと上下に揺れながら低く飛んでいた。

 

やがて段々と床に向けて力無く下降していき、一瞬動きが止まったかと思うと、今度はゆっくりと落ちていく。

床に着く前にラリカがそっと腕を伸ばしたことで、竜(ドラコ)はラリカに抱き上げられる状態になった。

 

「怪我してるんだから、じっとしてなきゃダメだよ」

『翼が上手く動かない…くそっ、離せ人間!』

 

ラリカの耳に、再び先程と同じ声色が響いてくる。

それと同時に竜(ドラコ)は居心地が悪いかのようにラリカの腕の中で小さく藻掻いた。

 

「翼?もしかして、話しかけてるのって君?」

 

ラリカが腕の中の竜(ドラコ)に問いかける。

 

『…?お前以外、誰がいるんだ?』

 

ラリカの問いに、竜(ドラコ)はラリカを見ながら、首を傾げた。

ベイリーとナルにはラリカが独り言を言っているようにしか聞こえておらず、その光景が少し異様に見えていた。

 

「ラリカ、どうかしたか?」

「?どうかって?」

「さっきからぶつぶつと誰かと話しているように聞こえますから…」

「今、この子と話してたの」

 

ラリカは二人の方に振り返り、「この子」と言いながら抱えている竜(ドラコ)を指す。

聞かれたことに対してラリカが答えても、二人はその場に固まり黙ったままで、暫くの間、沈黙が続いた。

そんな状況に、ラリカは何かおかしなことでも言っただろうかと先程までの言動を思い出すが、思い当たる部分が見つからない。

 

ラリカが沈黙の原因を探していると、見つける前にナルが沈黙を破る。

 

「竜(ドラコ)と話すって、直接会話をするってことですか?」

「直接…ってわけじゃないけど、なんだろう。頭の中に声が響いてる感じ?」

 

ラリカの返答に対して、ナルとベイリーは顔を見合わせた。

その様子はまるで、二人にはラリカの言っていることが理解出来ないとでも言う感じで、またもや沈黙が流れる。

 

「はぁ…とりあえず、中を何とかするか」

 

ベイリーはひとまず考える事をやめ、とりあえずはこの荒れた部屋を戻そうと魔法を唱える。

「リペアリターン」とベイリーが一言唱え、指をパチンと鳴らすと、獣医室の床一面に紫色の魔法陣が現れ、部屋が淡く光出す。

 

部屋の中にいたラリカとナルは、物が動き出そうとするのを察知すると慌てて部屋の外に出て、入り口から部屋が変化していく様子を眺める。

 

ベッドは元の位置に並び、破けたクッションや枕に散乱した羽毛が吸い込まれるように戻り、傷がついていた窓や壁は傷の無い状態に直っていった。

その様子はまるで、竜(ドラコ)が暴れる前の部屋に時間が巻き戻っているような光景だった。

 

やがて淡く光っていた光が消えると、室内は散らかっていたことなど忘れてしまったのように元の部屋へと戻っていた。

 

ベイリーはそれを確認すると、一番に獣医室の中へ入る。

ナルやラリカも抱えた竜(ドラコ)と共に、後に続いて入る。

 

ベイリーはいつも座っている止まり木のある窓の傍の椅子に座り、ナルも壁側に設置されている白い長いソファに座った。

 

ラリカを含め三人も人が集まっているところに近づくのが嫌だったのか、竜(ドラコ)はラリカの腕から逃れるように踠き、離れると、近くのベッドの上に座る。

そしてそのままこちらの方を見向きもせずに、背を向けてしまった。

 

どうやら相当、人間が嫌いのようだ。

明らかに関わりたくないという竜(ドラコ)の雰囲気を察し、三人は竜(ドラコ)を無視して、話を始める。

 

「ラリカ。さっき頭の中に声が入ってくると言ったな?」

「うん」

「ベスティアは確かいなかったはずだよな?」

「今のところはいないけど…二日前に生徒会と話したら、竜を故郷に帰すまで世話役をしろって……」

「世話役…。つまり関係的にはベスティアと大して変わらないってことか」

「え…じゃあ契約していないのにベスティアになるってことですか!?しかも竜(ドラコ)の、子供の!?」

 

ナルは驚きながらその場に立ち上がり、大声を上げる。

 

それもそのはずだ。

ベスティアという関係を築くための契約を交わさずに、似たような関係になるというのは殆ど異例に近いのだ。

ましてや、それが竜(ドラコ)という希少な種族であり、普通はベスティアになることの出来ない子供だとすれば、異例の中でも異例である。

今になって思えば、そんな事を言いつける生徒会…いや生徒会長(オベロン)の考えも、ラリカにはよく分からなかった。

 

「ナル。座ってろ」

 

慌ただしく反応するナルを、ベイリーは冷静に静止させる。

 

「すみません…」

「…ベスティアになるって言っても、似てるってだけで名目上は世話役になんだけどね…」

 

ラリカはそう苦笑しながら話すが、正直その事に大して自信があるわけでは全くない。

竜(ドラコ)の世話役という役目が自分に務まる気が未だにしないのだ。

竜(ドラコ)であることに加え、竜(ドラコ)のあの人間嫌いであることを踏まえたら少し自信を無くしていた。

 

そんなラリカには気にも止めず、ベイリーは別に質問をしてくる。

 

「とりあえず状況は分かった。ベスティアとして契約をしていないなら、その〝証〟も無いわけだな?」

「証?」

 

〝証〟という言葉を聞いて、何のことか分からないというようにラリカは首を傾げた。

そんなラリカにナルは少し得意げに説明を始める。

 

「証とは、人間がベスティアという関係を築きたい種族とその契約するときに付けられる印…マークのようなものです。種族によって証の形が違うので、それを他の人間に見せれば、何の種族がベスティアなのかがすぐに分かるんです。僕のベスティアは狼(ルプス)なので、ここにその証がちゃんとあります」

 

そういうとナルは、自分の右手の甲を見せながらラリカに見せる。

ナルの右手には、月のような半円を描いたものの上に爪痕のように三本の線が入った模様が刻まれていた。

 

「この証は契約した種族にも同じ模様が出来ます。そして、お互いの魔力でお互いに証が出来るんです。だからその魔力を辿れば居場所が分かるし、普段は言葉が分からないベスティアの声が、魔力を通して聞こえるようになるんです。まぁ、種族達は証とか関係なく、人間の言葉が分かるみたいですけど…」

「…じゃあ、同じ証がないとベスティアの声は聞こえないの?」

「聞こえませんよ。魚とかの声が聞こえないのと同じ感じです。普通は動物の鳴き声のようにしか聞こえないですよ」

 

ナルは当然のように答える。

あまりにもそれが至極当然かのように言うので、ラリカは契約した覚えもないのに、軽く自分にもその証とやらがあるのだろうかと探してみる。

しかし、何処を見てもそんなものは無かった。

 

「……でも、その証が無くても私には聞こえるけど…」

 

そう。

ラリカにはちゃんと言葉が頭の中に響いてくるのだ。

困惑した様子でいると、思い付いたかのようにベイリーは椅子から立ち上がり、背を向けている竜(ドラコ)に近づく。

竜(ドラコ)はベイリーの気配を察知し振り向くと、ベイリーの顔をじっと見た。

 

「おい。お前何か話してみろ」

 

竜(ドラコ)はベイリーの指示に大して一瞬目を丸くし、キョトンとした表情を浮かべると、すぐさま威嚇するかのように唸り声を上げながら、ベイリーに向かって鳴く。

それを確認すると、ベイリーは次にラリカの方を見る。

 

「ラリカ。今こいつはなんて言った?」

「え?…『お前、馬鹿にしてるのか』って」

 

ベイリーがラリカの言葉を確かめるべく、再び竜(ドラコ)の方を見たが、竜(ドラコ)は愛想悪くそっぽを向く。

 

不確かではあるが、二人はラリカには種族の声が聞こえているという状況に対して考えながら話す。

 

「まぁ…要するに、ラリカはベスティアの証は無いが、声だけは聞こえるということか」

「おかしいですね…。種族達の話す言葉は普通の動物や人間とは違うと言われていますし…。種族達同士は言葉が通じているのではとは言われてますが、それも不確かで、種族の話す言葉は未だ解明されてないんですが…」

「私もどういう原理かは分からんが、実際ラリカは聞こえているわけだろ?」

「うん…多分…」

 

あまりにも不確かなため、自身のことではあるが、少し自信を無くしながら答える。

 

実際、ラリカには竜(ドラコ)の声がちゃんと聞こえている。

確かに、耳だけで聞く分には竜(ドラコ)の鳴き声のようなものしか聞こえてこない。

けれど鳴き声と同時に頭に直接響くように言葉が聞こえてくる。

証もないのに、何故ラリカには声が聞こえるのだろうか。

ラリカも二人と同じように、ハテナを浮かべながらその事を考えてみたが、自身のことだとしてもラリカには全く答えが出せそうになかった。

 

「まぁ、仮にラリカさんが人では無いとしたら説明もつきますけど」

「失礼な!!魔法は下手だけど、ちゃんとした人間だよ!」

「そんなことは分かってますよ。例えばの話です。そもそも人では無いとしたら何なんですか?人間以外の人型の種族なんて聞いたことないですよ」

「私だって知らないよ…」

 

ラリカは少し不満そうにしながら答える。

 

自分より年下の、しかも初級生の子に何故こんなにも偉そうに言われなきゃならないのだろうか。

そんな風に心の中で文句を言う。

 

ベイリーは二人のそんな様子には全く気にも止めず、話を進める。

 

「とにかく、そこの竜(ドラコ)はお前のベスティアっていうことでいいんだな?」

『……!?ちょっと待て!!僕は人間とベスティアになるなんて聞いてないぞ!!!』

 

今までの話をよく聞いていなかったのか、竜(ドラコ)はこちらに向かってそう叫ぶ。

当然、ベイリーとナルには聞こえていない。

 

ラリカは仕方なく対面するかのように、竜(ドラコ)の座っているベッドに近づき、目線を合わせるように腰を少し落とす。

そしてどうにか説得をしようと試みる。

 

「…でも暫くは故郷にも帰れないと思うし、それに怪我もまだ治ってないしさ?」

『うるさい!もう人間なんかの命令は絶対聞かないからな!!操られるのはごめんだ!!』

「操る…?」

 

けたたましく鳴き喚く竜(ドラコ)の言葉に対して、ラリカは疑問を抱いた。

人間の命令…。操られる……。

短い言葉を脳内で繰り返しながら考える。

一体この竜(ドラコ)は、ここに来るまでに何があったと言うのだろうか。

何故こんなにも人間に対して敵意を表すのだろう。

この竜(ドラコ)に関しては何もかも分からないことだらけだった。

 

せっかく言葉が通じるのだから直接聞いてみようと口を開くが、声を発する前より先にベイリーが話し出してしまう。

 

「話は済んだか?他に用が無いなら邪魔だ。その竜(ドラコ)もあらかた怪我は治っているだろうし、安静にしているだけだろうから、あとは世話役のお前が面倒見てやれ」

 

そう言ってベイリーは、抵抗する間もなく竜(ドラコ)をラリカの腕に預け、部屋から追い出した。

恐らく、これ以上面倒事に関わりたく無かったのだろう。

 

「何も追い出さなくてもいいのに…」

 

閉ざされた獣医室の扉に向かって一人で呟いていると、一緒に追い出された竜(ドラコ)はラリカの腕からスルッと抜け、フラフラと何処かへと飛んで行こうとしていた。

 

「あれ、ちょっと何処行くの?」

『僕は人間と馴れ合うつもりはない』

「けどまだ怪我も治りきってないし、フラフラだよ?一人じゃ危ないよ」

『人間の手なんか借りなくても、僕は一人で帰れる』

「でも、何処に故郷があるか分かるの?」

『……………』

 

ラリカがそう問いかけると、竜(ドラコ)は空中で進むことも振り返ることもなく止まる。

恐らく何も返答を返さない様子を見るに、この竜(ドラコ)にも故郷の場所は分からないのだろう。

 

暫く返答を待ってみると、竜(ドラコ)は不満そうにこちらを振り返る。

その表情は今の状況に納得のいっていない様子にも見えたが、何処か悲しそうにも見えた。

 

よく考えれば、故郷が分からないということはこの竜(ドラコ)には帰る場所が無いのだ。

両親も知り合いも誰もいない、訳の分からない場所でただ一人ここにいる。

ラリカはそんな孤独な感覚には、酷く覚えがあった。

 

俯く竜(ドラコ)に、ラリカはそっと声をかける。

 

「…私は君の嫌いな人間だけど、私でよければ一緒に帰る場所探そう?」

『…………』

「…あぁ!えっと、私が嫌なら他の人にでも…!!……ここは人間ばっかだから人間以外に頼むのは難しいかもだけど…」

『…………』

 

ラリカは必死に話しかけるが、竜(ドラコ)は俯いたまま、一向に黙ったままだった。

何かを考えているのか、それとも何か言葉が欲しいのか。

俯く竜(ドラコ)に対して、何を言ったらいいか分からなくなったラリカは必死に次の言葉を探すが、当てはまるような言葉が見つからず、ラリカ自身も黙ってしまう。

気まずい空気が流れる中、ラリカは少し落ち込みかけているとラリカの脳内に声が響く。

 

『……お前は、僕に命令したりしないのか?』

 

響いたのは間違いなく竜(ドラコ)の声だった。

顔を上げ竜(ドラコ)を見ると、竜(ドラコ)は俯くのはやめ、代わりに不安そうな目をこちらに向けていた。

 

何を思ってそう聞いてきたのか分からないが、竜(ドラコ)のその問いに対する答えは一つしかなかった。

 

「……しないよ、そんなこと。……誰かに、されたの?」

『………』

 

竜(ドラコ)に対して質問をしてみたが、竜は再び黙ってしまう。

 

しまった。

これは聞かない方が良かったかもしれない。

 

そう思ったラリカはすぐさま別の話題を切り出す。

 

「わ、私、誰かに命令出来るほど優秀じゃないし、むしろ魔法とか全然使えないからそんなこと出来ないっていうか…。…とにかく!酷いことは何もしない。傷つけたりも、えっと…操ったり?…もしないよ」

 

ラリカはなるべく優しい声色でそう言った。

怖がらないように、怯えさせないように。

もちろん言葉一つで完全に信用されようとは思っていない。

この竜(ドラコ)の言動から考えるに、きっと今まで色んな人間と出会って、色んなことをされたのだろう。

それこそ森で出会ったあの二人のように。

その結果、人間に対して敵意を持つようになってしまったのかもしれない。

そう考えると、簡単に信用される方が難しいのが分かる。

でも今だけは、拒絶はされても安心させるように、ラリカはそう思っていた。

 

少しの間のあとに、竜(ドラコ)はゆっくりとラリカの傍に近寄り、ラリカの頭の上に休憩するかのように乗る。

 

『しょうがないから、暫くはお前についてってやる』 

 

一言そういうと、少し偉そうに鼻をふんと鳴らした。

その様子を見るに、少しは不安ではなくなったようだ。

 

「…そっか。私はラリカ。これからよろしくね」

 

ラリカは苦笑しながら短く自己紹介をする。

けれど竜(ドラコ)は相変わらずの態度で言葉を交わそうとはしなかった。

 

流石に子供の竜(ドラコ)と言えど、体重は赤子と同じくらい…いやそれより少し重く、ずっと頭の上に乗せておくのが辛くなったラリカは、竜(ドラコ)を腕で抱きながら歩く。

最初は抵抗されるかと思ったが、まだ動くと傷が痛むせいか竜(ドラコ)は黙って、暴れることもなく腕の中で抱かれていた。

 

「…そういえば、君の名前は?」

『…………ない』

「…そっか。じゃあ後で考えないと。……何がいいかな…」

 

ラリカはそんな風に、少し上機嫌に話していた。

それを不思議に思ったのか、竜が腕に抱かれながらラリカの顔を覗き込んでくる。

 

『……お前、他の人間と違うな』

「…え、そう?まぁそうなのかな…魔法使えないし、何でか声は聞こえるし……」

 

竜(ドラコ)の言葉に一瞬疑問を抱くが、よくよく考えたら普通とは違うことがちょっと多いような気がしてくる。

それを考えても仕方がないくらいには、理由は分からないのだが。

 

けれど竜(ドラコ)が言ってるのはそういうことでは無かった。

 

『…そうじゃない。…僕が今まで会ってきた人間は、僕を捕まえようとしたり、攻撃してきたりするやつばかりだった。けど、お前は僕を捕まえようとも傷つけようともしない。それどころか、どこか嬉しそうに見える。……僕が竜だからか?』

 

竜はそんな風に疑問をぶつけてくる。

ラリカの思った通り、竜(ドラコ)は過去に酷いことをされて来たようだ。

竜(ドラコ)であることを理由に、散々苦しめられて来たのだろう。

 

確かにラリカにとって最初は竜(ドラコ)を世話することになってプレッシャーを感じたが、今はあまりそれを感じてはいなかった。

全く感じていないわけではなかったが、獣医室に来る前ほどよりは、これからのことに不安感はない。

それは、竜(ドラコ)があまりにも人間の子供と対して変わらなかったからだ。

 

世界で存在だけ知られていて、その実態は分からない竜(ドラコ)は、今では殆ど人間の作り出したイメージが身についてしまっている。

強く、逞しく、威厳があって、偉大な存在。

そんなイメージが世の中にはある。

だから子供と言えど、そんな竜(ドラコ)の世話役に自分がなれるのかと不安を抱いたのだ。

 

けれど実際の竜(ドラコ)はそんなことはなくて、人間に酷いことをされて、人間嫌いになるほど人に怯えていて、怖いと思ったら暴れるし、不安になったりもする。

それは同じような状況になれば、人間の子供も同じだろう。

そう感じると、ラリカはただ純粋にこの竜(ドラコ)に寄り添いたいと思ったのだ。

竜(ドラコ)でなくても、それは関係ない。

相手が誰であっても、そんな状況の相手に対してはそう思うのがラリカの性格だ。

 

それに、嬉しそうにしているのには他に理由があった。

 

「私ね、家族がいないんだ。なんでなのか、とかは小さい頃だったからあんまり覚えてないけど、セランって人が小さい頃に引き取ってくれたらしくて、家族って言える人はいるけど、血の繋がった家族はいないの。セランも今は仕事をしながらで一緒に暮らしたりもしてないし…。でもさ、ベスティアっていつも一緒にいて、血は繋がってないけど、なんか家族みたいだなって。だから家族が出来たみたいでなんか嬉しいなって」

 

ラリカはそう話すと、竜(ドラコ)に笑顔を向ける。

 

もちろん、家族と呼べる人がセランだけなのが嫌だったわけではない。

この学園に来たばかりの頃はセランはよくラリカを気にして寮に来てくれた。

けれどそれも長くは続かなくて、仕事が忙しくなれば幼いながら寮で一人で過ごすことが多くなり、それは今となれば慣れてしまったことだった。

 

心の何処かで寂しいという気持ちが無かったと言うのは嘘だ。

学園でベスティアと共にいる生徒を見て少なからず羨ましいと思ったことはあったのだから。

だからこそ、今は嬉しかった。

少しの間と言えど、ベスティアと同じような関係になれたことが。

 

けれどそれは、ラリカだけじゃなかった。

 

竜(ドラコ)は完全にラリカを信用したわけではない。

信用して裏切られたことだってある。

だから完全には信用はしていなかった。

 

けどラリカの言葉を聞いて、家族みたいだと言われて、何も思わなかったわけでもない。

この竜(ドラコ)もラリカと同じく、家族と呼べる存在がいないのだから。

誰も信用出来ず、孤独で今まで生きて来た竜(ドラコ)もほんの少しの喜びを覚えなくはなかった。

信じ切る事は出来ないが、今は少しだけ、このままラリカの腕に抱かれて行ってもいいかと、そう思っていた。

 

『……ふーん』

 

竜(ドラコ)はそんな気持ちを隠すかのようにそっけなく返す。

ラリカはそんな素っ気ない態度も今は仕方ないと思うようになっていた。

 

そうして二人は学園の寮へと向かった。

 

この日から、学園の劣等生と子供の竜(ドラコ)の一時的なベスティアのような関係が始まった。

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